本当に、誹謗中傷だけは大嫌いです。
それでも、人は人を蔑み、非難し、攻撃するのです。
インターネットが普及し、便利が増えればその中に闇も生まれるものなんですね。
自分が特定されない、いつもは言えない立場にある人や怖くて言えなかった人には、それは免罪符であるかのように利用し、表現の自由などといった歪んだ建前の上で好き放題言い放題。
その責任を感じさせない発言の数々に、傷ついた人々の気持ちなんて、まったく考えないんでしょうね。中には、悪意を持って書き込んだ人も居るのかもしれません。
このネット社会になって、掲示板やブログに書き込まれた誹謗中傷によって自殺に追い込まれた人が多いということは知られているでしょうか。
今年に入って、韓国の女優がネットの中傷を見て、人生に絶望し若くして命を絶った人がお二人います。
そして韓国では初めて、書き込んだ人を警察が特定し逮捕、裁判を経て場合によっては殺人罪関連で判決されるものと見られているらしい。
年内を見通して韓国では「制限的インターネット本人確認制度」の導入を法律として採用しようとしている。パソコンを使用すれば、その個人情報が表示されるというもの。これは日本でも考案されているものだけど、その実用化の目途はたっていないみたい。
でも、もしもこの法律が出来上がれば・・間違いなく表現や言論の自由は制限される。でも、私は賛成だ。自由な世の中よりも、人が死なない世の中のほうがずっといいからだと思うから。綺麗事だと思われるかもしれないけれど、いつ自分が、あるいは自分の知人がネットで侮辱されるかわからないのだから。もしそなったら、私は・・・許せない。
日本の自殺者は年間3万人以上、世界でも有数の自殺大国と言われ、1日の間に90人が自殺している計算になります。
その理由の半数が、生活苦や病気と言われていますが・・・・私が言うのもおこがましいですが、今の日本で餓死や生活できなくて死ぬ可能性は殆ど無いと思います。ただ、贅沢を知りすぎているからであって最低限の生活はいくらでもできるはずです。世間体さえ、気にしなければ・・ですけれど。
そして10%の人の原因がいじめや中傷が原因です。
自覚が無くても、ちょっとした言葉が原因で人が自殺に追い込まれているかもしれない・・・私は正直ネットが怖くなりました。迂闊な、発言が少なくない気がするので・・・
現代は、言葉で人が殺せる時代。そう感じました。
他人への誹謗中傷はもちろん批判の言葉を発するとき、それで誰かを死に追いやるかもしれないと、過剰すぎるかもしれないけれど思うようにしたいです。言葉に責任を持つ、そんな当たり前のことを忘れかけていました。
そして、いつか自分が責められることもあるかもしれません。
私の心は、ちょっと折れやすいみたいなので、負けないようにしなきゃ。
相方いわく、「回避力は高いが防御力は無い」 だそうです。
気持ちが追い詰められても、ちょっとまって。
誰かに話を聞いてもらいましょう。
心無い他人の評価が自分の評価になるなんてことはありません。
自分を良く知っている人の評価の方が、遥かに自分の評価になるんじゃないでしょうか。
私なんて、誰かに評価されなくたって、自分で自分にはなまる付けちゃいますよ。
大切なのは、評価より自分の気持ち。
高校の先輩が言っていた、ちょっとした名言。
「死ぬ気になれば何でも出来る・・・そんなのダメだろ。死ぬ気になるくらいなら何にもするな。」
もうその時は笑ってましたが、社会に出てからこの言葉に何回か救われました。
人生にリセットボタンはないっていうけれど
人は変われないって言うけれど
環境は変えられる
誰も知らないところから、新しい自分をスタートさせてみるのも、いーんじゃない♪
そんなメルテの人生スルースキルw
PR